カフェ雑感 vol.7

今日は5連休最終となる秋分の日です。

暑い夏がようやく過ぎたものの、北関東に大量の雨を降らせた台風やら日本のあちこちで鳴動する火山やら、相変わらず自然の脅威に驚かされる日々が続いています。3.11以降も毎年のように多くの自然災害が頻発し、首都圏を含む東南海に新たな地震の発生可能性が確実視されている状況の中で、なんと再び原発が稼働しつつあります。
福島であれだけの深淵を見せられ、今も失われた土地を抱えるというのに、結局3年過ぎれば元のもくあみ、安価な電力の安定供給を理由に経済優先、眼に見えない資本の原理に私たちの生活は絡め取られていきます。当時あれだけ自然エネルギー、再生エネルギーが叫ばれ、それまでの政策の誤謬が指摘されながらしだいに軌道が戻っていく。

集団的自衛権を容認する安全保障関連法案についても同様です。北朝鮮、中国の脅威をテコに、70年間保守政権のなかでも曲がりなりに守ってきた、自衛権に関する平和憲法解釈を、数の論理を背景にいとも簡単に歪曲してしまったわけです。アメリカの圧力があったとしてもこれまで絶対に踏み込まなかった領域、歴史の重みに対する抵抗感があまりにもなさすぎるのではないか。政治、経済を超えて、「非戦」であるからこそバランスしていた日本に関わる多くのことがらが、布石が変わることで思いもかけない方向に動いていく。如何ともしがたい焦燥感。
どうして人々が望む小さな幸福や充足とは異なる不安定な方向に向かってしまうのか?シリアからヨーロッパに流れ込むとんでもなく多くの難民の映像を見ていると、なんでわざわざこのような理不尽を生み出す戦争世界に足を突っ込んでいかなければならないのか、なぜ非戦であることに誇りを持って世界に向かわないのか、理解に苦しみます。

国立競技場やオリンピックエンブレムの問題も構造は類似しています。東京オリンピックが決まったあの満足感と希望に満ちた瞬間からどれだけ遠くに来てしまったのか?3.11からの復興を軸に、まさに日本の叡智を世界に示す千載一遇のチャンスをむざむざ浪費し、見事に消し去ってしまった。不手際というより、先を見通す全体像を描けない、どうしても小手先の調整に向かう狡猾さばかりが目立ってしまう。今更クマケンゴとかイトートヨオと言われてもシラけるだけではないか。

 

先週無理を言ってパリに行ってきました。3年ぶりです。去年の高宮講義もあって改めてコルビュジェを含む近代をおさらい?したかったのと、3年前建設が始まっていたヌーベルのコンサートホールとゲーリーの美術館を経験したかったからです。結局4日間ブラブラ歩き回りながらエッフェル塔からルーブル、オルセー、ピカソ、ポンピドゥー、ケ・ブランリー、アラブなどの美術館、ラブルーストのサン・ジュヌヴィエーヴ図書館、ラ・ロッシュ邸、サヴォア邸、コルのスタジオなど、手当たり次第に見ながら街を感じていた次第です。16区、ラ・ロッシュに向かう途中ギマールの建築がいくつかあるのですが、たまたまプライベートゾーンに入れたり、近くにあるマレ・ステヴァンの建築群の一つ、彫刻家のスタジオに入れたり初めての体験もありました。街の店の入れ替わりも激しく、3年前椅子を買ったミッドセンチュリーの家具屋も閉店してました。

結論めいた印象から言うと、コルの近代は相当色あせてきている一方、ゲーリーとヌーベルの新作はまさしくモンスターのように現れています。素材や形態というよりも、建築のあり様そのものがモンスターとしか言いようがない。パリにはポンピドゥーセンターという先例がありますが、これとは全く違います。少なくともポンピドゥーセンターは、その構成、構造、そして何よりも建築の考え方そのものの批評性、新しい建築言語としての圧倒的ビジョンとして今も存在しています。しかしながら、これら二つの建築は都市の文脈とは切り離されてまさしく快楽的に自立している。批評性はつゆほどもなくただただ自己主張しているようにみえます。それぞれ公園の中にあることが救いでしょうか?その意味で神宮のザハは不幸だったとしか言いようがありません。

二つの建築は大人気です。パリそのものでもあるルーブルやオルセーとは対極です。パリという都市空間とも切り離された、いわばインターナショナルノマドともいえる無国籍かつ祝祭的デザインの極北がもたらす強烈な磁力がいまや求められているのでしょうか?興行し、巡回するサーカスのようです。ヌーベルのコンサートホールでマーラーの交響曲4番を聞きましたが、大きすぎる空間に音がけしかけられているような、マーラーの4番ですら持て余す過剰を感じました。この空間が新しい音楽を導くようには思えませんでした。ただ、廊下の天井に吊ってある無数の金属片が、帰りがてら開け放たれたドアからの風に風鈴のような音を立てる光景にはちょっと惹かれました。ヌーベルらしからぬ繊細な仕掛けです。ゲーリーの美術館にしてもガラスの甲冑は何だろう、なんでこんな大げさな、相変わらずホワイトキューブじゃないか、と毒づきながら最後に到達する屋上に広がる庭園には驚きます。ブローニュの森を介してパリのスカイラインが一望できる演出は劇的です。

パリは本当に戦略的な街です。中心部に近世の、それも市民革命が否定した都市構造をレガシーとして活用し、周縁部にモンスター的一発芸建築をキラ星のように散りばめる。最近デファンス地区に、H&Mのガラスギンギン、スイカの一片のような超高層オフィスビルを当局が認可した、と記事になっていましたが、世界中から人を集める術を十分に心得ています。

都市の魅力とは何なのか?建築家の役割とは何なのか?いろいろ考えされられた一週間でした。

 

2014.9.23
飯田善彦

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